もう5年、されど5年、あの日被災したのがもしも僕だったら。
時が経った今でも、全然笑えない。
あの日 僕らから笑顔を奪った東日本大震災
未曾有の大地震が、驚くほど多くの人命を奪い去りました。
あの時、車を東京・豊洲の路肩に停めていた僕は
車がいきなりホッピングしはじめて、「車壊れた!こんなに飛び跳ねて爆発するんじゃないか!?おっかない!」と、壊れたのかと思いました。
そうしたら、他の車も揺れ、信号も揺れていて、ただならぬことが起きていると理解し、
会社に戻って
テレビをつけたらそこには恐ろしい映像。
交通機関も麻痺し、結局12時回っての終電でした。
僕の周りの方は被災せず、事なきを得ましたが
友人がもしかしたら死んでいたかもしれなかった事実と、錯乱する情報が大きなストレスになり突発性難聴になり、めまいと右耳が聞こえない症状が1ヶ月位続きました。
いまでは良くなり日常生活に支障をきたすことはほぼなくなりましたが、あの時と似た症状が偶におこるので嫌だなあと思うこともしばしば。
週に1度はテレビで見かける「被災地」の文字があの日を風化させないなと
だからか、5年が経過したってなかなか思えないでいる。
僕はそれでいいと思し、心が災害に対して少し備えてくれているから、なにか起きてもちょっとした覚悟ができているな。と
けど、勿論忘れたい人もいるわけで。
心が痛い人がもっと笑えるような日本になればいいなと、今日も思います。
ネットを漁れば
生生しい映像をすぐに見れるわけで、
忘れたいけど忘れちゃいけない日なんだと
311が来るたびに思います。
何が言いたいかよくわからんけど、
結果いつも命が絡むと思うのは、会えるときに 会いたい時に会っておけ。
ってことだよね。
大好きな人、愛してる人に、会いに行って下さい。
会えないのなら、せめて電話で声を聞いて、声をきかせて下さい。
当たり前とおもうなよってことです。
あの日、被災したのは僕だったかもしれない
今日ここにいなかったかもしれない。
そう、だから、悔やむことのない人生を
いちにち、いちにちを真剣に生きよう。
明日もまたみなさんが幸せに笑えますように。